私はこれまでのコラムの中で、人は修羅場によって成長スピードが加速する、そのため意図的に修羅場の環境を選択せよ、と伝えてきました。《 athletica Column vol.080 》修羅場の経験が多ければ多いほど人は成長するhttps://athletica.j-sc.org/posts/230723Column80《 athletica Column vol.108 》意図的に“修羅場”の環境を選択するhttps://athletica.j-sc.org/posts/240211Column108このような環境を作り出すためには、それらを見届ける人、要するにその環境を提供してくれたり管理サポートする人の力が必要な時もあります。しかし残念なことは、時にそのサポートする人がその修羅場を勝手に取り除いてしまったり、登るべき山を平たんにしてしまうこともあります。そういう人に限って「あなたのためを思って…」と言うのです。更にはその行為を自己肯定のもと「優しさ」と勘違いして捉えていることも。私の1歳の息子の話です。先日キッチンのカウンターに椅子をつたってよじ登り、案の定転げ落ちて泣きました。私はその過程を見届けながら落ちることを察知していましたが止めませんでした。すると2回目以降、よじ登った後自分の力で降りられるようになりました。公園から家への帰り道、私の後ろを追いかけながら走っている途中転んで泣きました。私は息子の手を引かず、そのまま泣き止み私のとこまでくるのをじっと待っていました。すると2回目以降、転んだ時泣きはするものの、直ぐに自分の力で立ち上がり私の後を追いかけてくるようになりました。私は人には成長するその瞬間、その一瞬があると思っています。サポートする立場の人は、その瞬間やその一瞬を見逃さず、見守り、見届けることが大切です。それは、時に意図して失敗させることも必要だということです。失敗の経験を積ませてあげることも優しさのひとつになることがあります。もちろん最悪のケースを想定し、そのリスクを事前に取り除いてあげることも必要です。ただ一方で、こうした経験の積み重ねが年輪となり、人を大きく成長させていくことも確かです。人の成長の実を潰していないか。助けてあげることやサポートしてあげること、そのすべてが正しいとは限りません。時に修羅場を経験させることこそが、その人の成長を加速させ、本当の意味での優しさに変わることがあると信じています。athletica(アスレチカ)の活動に興味のある方はこちらをご覧ください↓https://athletica.j-sc.org/●アスレチカアカデミーhttps://athletica.j-sc.org/academytop●アスレチカカレッジアカデミーhttps://athletica.j-sc.org/collegeacademytop●公式instagramhttps://www.instagram.com/athletica_jsc/●公式X(Twitter)https://twitter.com/athletica_jsc●LINE公式アカウントhttps://line.me/R/ti/p/%40856phjdb