%3Ciframe%20width%3D%22560%22%20height%3D%22315%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FmL6x8_1DeuI%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%22%20allowfullscreen%3E%3C%2Fiframe%3E《 PROFILE 》 荒木 裕一郎(Yuichiro Araki) リクルートエグゼクティブエージェントのスタートアップに参加し組織全体を統括/ゼビオグループの人事担当役員を経て、現在はベンチャーキャピタルのJAFCOでインターナルの人事企画及び投資先企業のHR課題解決を担当荒木さんは大学時代、体育会系のアイスホッケー部に所属していたと思いますけど、どんな学生生活を送られていましたか。荒木)ちょっと時代が違うんだけど、僕らの頃っていうのは本当に大学に行かなくても卒業ができるような時代でもあったので、ほぼ体育会の人っていうのは講義では教室には行かないで、練習場に行くっていう感じだったので、僕はアイスホッケー部でしたから、とにかくリンクにいる時間がめちゃくちゃ長いという学生生活ですね。ほぼ120%そっちで、という感じの学生生活ですよね。その後、就職活動で当時のリクルートに入社されましたけれども、その経緯をお聞かせいただいてよろしいですか。荒木)僕はたいしたアスリートでもないんですが、アイスホッケーを大学から始めて、そのときに最初練習していくうちに上手くなっていくっていうのは、ある意味目に見えて上手くなっていくっていうのをすごく実感して、どんどんその面白さにのめり込む。ていうのがすごく原体験として「やっぱこういうのっていいよね」っていう、自己成長みたいなものが就活のときのキーワードみたいに自分なりになったときに、どんな感じでやってったらいいんだろうなっていう中で、出会ったのはリクルートという会社ですけど。その当時本当に倍々ゲームとは言いませんけど、2桁成長当たり前で売上が毎年1.5倍ずつぐらいになる、そんな感じだったんで、驚異的な会社もこういうカーブをきってるし、それに合わせて自分も同じような成長カーブが描ける可能性があったら、これ以上ハッピーなことないんだろうなっていうのは感じていて、他にも選択肢はもちろんあったわけなんですけども、そこが一番の魅力というか、という感じでしたね。それと当時のリクルートの状況を見て、そこに加わらない決断をする自分って駄目なのかなってすげえ思って、そこに身を置いてたら多分、驚異的に成長するというか、自分なりに一番の成長ができるはずだってわかっていながら、他のブランド企業みたいなところも選択肢にあったわけなんで、そっちに行く自分ってどこか許せないっていうのがあって、親からも当然いろいろ「何なのそれ」みたいな感じでしたが、当時のリクルートに飛び込んだっていう感じですね。リクルートを経て、ベンチャー企業の立ち上げに参画されましたけども、その決意と経緯についてもお聞かせいただけますか。荒木)完全にドットコムバブルで、90年代後半から2000年にかけてのいわゆるネットバブルとかドットコムバブルと言われるホリエモンとか、あの辺の世界ですね。そのときだったんですが、リクルートからいっぱい外に出て勝負するっていう人がいた中で、僕も同僚というかよく知ってる人間が、先に独立をし、それに加わることになるんですけれども、不純ではあるんですが、当時僕が個人的に自分の生まれた娘が障がいを持っていて、その時何を思ったか、この子のためにはなんていうのか、ひょっとしたらドットコムバブルに乗って一攫千金じゃないけどそれなりのものを手にしたら、自分が金持ちになるというよりは、この子についての経済的な面っていうのは、1つクリアされるっていうのは正直ありましたね。でもそんな考えで挑戦したやつが、そうなるわけじゃ残念ながらないんですけど、正直そこは「あんたそれ狙ったのね」っていうふうに言われるのはもう事実なんで「そうなんです」っていうことなんですが、その背景には実はそういうものもあって、思い切って飛び込んでもちろん全力を尽くしたんですけど、いろんな事情があって、そうはならず。2年経ったところでちょっと子供の障がいとか考えたときに家族への負担も大きいので、ちょっとそこからまたさらにこれにコミットしてやっていくのは難しくなったので、残念ながら申し訳ないですが非常に短かったんですけど、2年の任期だけで僕は退任することにさせてもらったっていう。ちょっと僕の中で苦い経験でもありますね。ベンチャーで成功できなかったということだけじゃなく、自分の決断だとか、本当は家族を幸せにするためにした決断のはずだったんだけど、そうはならなくて、浅はかだったなっていうのもあったりしてっていう感じなんで。そのあと荒木さんは、大企業の人事を統括する役割でお仕事されていましたけれども、大企業における人事のトップを経験されたことや、そこでの学びであったり、仕事の醍醐味みたいなところをお聞かせいただいてよろしいですか。荒木)そのベンチャー企業から、チキンなんで1回リクルートに戻って、リクルートで新しい会社を立ち上げるとか、一通りやってご奉公を終えてですね、その後小売業ですけれども、グループで約1万3,000人ぐらいが働く、そういったサイズの会社に移りました。どちらかというとリクルートって、ある意味3言えば10動くみたいな人たちが、うわっと居るみたいな中での人事もいいんですけど、小売業のような本当のヒューマンビジネスみたいなものの中でやる人事って、果たしてどこまでやれんだろうみたいな。「お前どれぐらいやれんの」みたいな自分を試すというか、自分に問うというのかな。というようなこともあったので、チャレンジしてみたということなんですけど、やっぱり手ごわいですよね。そのサイズ感が、やっぱり。1万数千人がいてこっちがよかれと思えば、こっちが駄目でみたいなこともあったりするし、そうなるとどんどんいろんな施策がどうしてもコンサバティブになっちゃう。こんなもんぐらいしかできないよな、みたいな感じになっちゃうんで、それは悔しくてもっと本当はラジカルなことをいろいろやりたいんだけど、なかなかできなくて、それがサイズとかそういったものの性というか、難しさだなというのはすごく思いましたよね。その経験を経て今ジャフコにいらっしゃいますけれども、ジャフコでの具体的な役割とか仕事内容を教えていただけますか。荒木)今僕は完全にジャフコのインターナルの人事の役割をしています。グローバルで150人ぐらいの会社なので、そんなに大層なことなのかっていう感じなんですが、50年近く経ってる会社で組織のこととか、いろんなことでこれまで先送りにしてきたいろんな課題が実はあって、それを片付けているみたいなことが一番の仕事で、もちろん採用だとか、育成だとか、組織開発みたいなところで、いろんな課題がありましてですね。それをクリアしていってるというような感じですね。続きはこちら↓《 ROOTS ビジネスアスリートたちの原点:002 荒木裕一郎 - Vol.01》本気になれることは才能https://athletica.j-sc.org/posts/rootsaraki02《 ROOTS ビジネスアスリートたちの原点:002 荒木裕一郎 - Vol.03》 川の流れに身をまかせるhttps://athletica.j-sc.org/posts/rootsaraki03