%3Ciframe%20width%3D%22560%22%20height%3D%22315%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FC1JJ2M8Dog4%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%22%20allowfullscreen%3E%3C%2Fiframe%3E《 PROFILE 》 志村雄彦(Takehiko Shimura) 慶応義塾大学 環境情報学部・バスケットボール部卒 4年時に関東大学リーグ、インカレで優勝し、MVPを受賞/2005年、東芝(現:川崎ブレイブサンダース)に加入/その後bjリーグのトライアウトを受け地元の仙台89ERSに入団/引退後、仙台のゼネラルマネージャーを経て社長に就任志村さんは高校時代、ウィンターカップや国体を優勝して、その後に当時二部だった慶應義塾大学に進学しましたが、その背景や真意について教えてください。志村)高校時代に日本一を経験したので、バスケットをやり切ったわけじゃないですけどある程度やっているという感覚があって。もちろん更に高みを目指したいというのはあったんですけど、バスケットも「世の中の一部」だっていうことは当時から感じていて。色んなものを見られる視点を、視野を広げたいなということで慶応への進学を選びました。もちろん選択肢はいくつかあったんですが、僕が知らない世界がそこにあるんじゃないか、というところがありましたね。その後、大学四年時にインカレで優勝しましたが、その当時のことをお聞かせください。志村)仙台高校は「日本一」という明確な目標があったので、そこに向かって部員全員がやっていましたが、当時の慶応は「まず一部に上がろう」っていうところでした。ただ戦う仲間、同級生に恵まれたので、本当にこういう仲間と高い目標を目指したいなという思いがありました。実はあまり覚えていないんですけど、一年生の時に「このメンバーで日本一になりたい」ということを言ったみたいなんですね。どこのタイミングで言ったか覚えてないんですが。その時は現実的ではない目標ではあったんですけど、その目標に向かって「どうやっていくの?」みたいな感じで。高校の同級生であったり、高校時代に僕らが試合で勝ったチームの選手が一部で活躍してるような状況だったんですけど、その頃代表に入っていた先輩に「環境で言い訳するのは一流じゃないよ」って言われて。「どんな環境でも結果を出すのが一流だから、それを目指すようにした方がいいよ」という話をされて。選手のレベルは高くはなかったかもしれないですけど、その思いとかそういうのを信じて戦っていました。僕が三年生に上がる時、今日本代表でも活躍している竹内公輔が入ってきて。もう一人代表クラスの子が入ってきて僕らの同級生も後にプロになる選手が三人いるんですけど、そういう面々が集まってできた。一部に上がった四年生の時に前年に優勝した専修大学が春のトーナメント大会でも優勝してたんですけど、そこに慶応が連勝したんです。そこから「これはやれるんじゃないか」っていう自信がどんどん出てきて、リーグ戦をどんどんどんどん勝ち上がって。秋のリーグ戦で関東一番になって、第一シードでインカレを迎えて。その時も楽な試合がなくて大体ビハインドを背負っていたんですけど、面白いのが慶応の付属の高校であったりとか横の繋がり上下の繋がりもあるのでその子達も見に来てくれて。OBの皆さんも応援してくれたり、トーナメント上がるにつれて、慶応が勝つんじゃないかみたいな雰囲気が出てきて。最後にまたその年のライバルである専修と決勝を戦うんですけど、最近当時の専修のキャプテンと話したんですけど、「あの時は完全に専修が敵で慶応を勝たせるような会場になっちゃってたよね」みたいな話をしていて。やっぱりそういう巻き込んで、最後インカレを45年ぶりに勝って。その時に感じたのは目標設定することの大切さであったりとか、そこに対して一つ一つ積み重ねていくっていくことの重要性とか。そして結果を得た時の喜びであったりとか、達成感っていうのを改めて感じたなっていうのがインカレの優勝でした。大学卒業後は、一般企業へいかずにプロの道を選択しましたが、その決断にどういった背景があったのか教えていただけますか?志村)バスケットは、競技としては元々大学までかなと思ってました。当時のトップリーグはNBLっていう実業団中心の組織でしたけど、その時は8チームぐらいしかなかった。そこに新人が一人か二人いるんですけど、そこに入っていくのはやはり能力的にも厳しいかなと。なので最初は考えていなかったんですが、リーグ戦がどんどん勝ち上がるにつれてもっともっとやれるんじゃないかなっていう欲が出てきて、その時に声を掛けていただいた東芝さんにお世話になることになりました。僕にとってはすごい良い三年間を過ごさせてもらいました。実はあまり試合には出られなかったんですが、本当素晴らしいメンバーと天皇杯も優勝したりとか、チームとしてはすごい上昇していて。東芝は僕が入る前にリーグ戦で優勝するなど強豪だったので、そういった意味ではトップオブトップのチームを体験できたすごい良い機会でした。志村さんは私と一緒で身長が低いながらもプロの世界であったりだとか身長が高い人の中で戦ってきましたが、どういった特徴を生かして、どういった強みを生かしながら生き残ってきたか教えてください。志村)バスケットは競技特性としてリングが高いところにあるので身長の高い選手が有利。それは間違いないんですけど、自分があるものでどう勝負していくかっていうのが競技やっていく上で重要なので。身長はもう伸びませんので、そこに固執しても仕方ないっていうのも途中から気付いて。小さいからどうやって強みを出せるかっていうところで、他の選手より運動量を多くするとか、大きい選手が見てる視点と小さい選手が見てる視点って違うのでそれを逆手にとってプレーするっていうことを心掛けました。あとは僕は自分より小さい選手と戦ったことがないので、そういった意味ではシンプルですよね戦い方としては。志村さんがプロの世界で長く続けられた要因はどういったところにあるとお考えですか?志村)スポーツで重要なのがケガをしないということと、あとは自分の自己理解をしっかりするということだと思うんですね。あとは自己評価を正しくするということ。選手をしているとみんなそうなんですけど、プライドも高いですし絶対負けないっていう気持ちでこのコートの中には入ってくる。それは必要な部分なんですけど、やはり自分が今市場の中でどこにいるのかっていうことを把握すること。自分は小さいというのはもう分かっていたのでなので、自分はここをやろうとか。やっぱり無理なことは望まないっていうことと、自分がやれることを100%やっていくということが大切ですね。あとはケガしないようなコンディショニング作りだったりとか、身体作りっていうのは意識しましたね。健康で産んでくれた両親に感謝です。志村さんが考える技術(スキル)とセンスの違いについてお聞かせいただけますか?志村)スキルとセンスっていわれるものは「教えられるか教えられないか」だと思っているので、スキルは伸ばせると考えています。センスっていうのは感性なのでそこに関しては持って生まれたものであったり、育った環境があるのでそこを矯正したり教えていくというのは難しい。でもこれもバランスなのでスキルだけある子もうまく大成しませんし、センスはあるけどちゃんとやらないとか。そこのバランスを見てあとはどう使っていくかですね。センスがある子ばかりいてもダメですし、技術だけを追い求めているのもダメなので、そこのバランスを見ながら配置するって感じですね。続きはこちら↓《 ROOTS ビジネスアスリートたちの原点:005 志村雄彦 - Vol.02》 生まれた瞬間にリーダーになるわけではないhttps://athletica.j-sc.org/posts/rootsshimura02《 ROOTS ビジネスアスリートたちの原点:005 志村雄彦 - Vol.03》 キャリアを自分で決められることほど幸せなことはないhttps://athletica.j-sc.org/posts/rootsshimura03